2013年08月31日

笹本祐一著 「星のパイロット」あとがきより

 イプシロン打ち上げ中止報道を見るたびに思い出す、ある小説のあとがき。

笹本祐一著 「星のパイロット」あとがきより。

 宇宙開発が好き、というだけでまた新しいシリーズを始めてしまいました。ああ、いつかと同じ書き出しだ。
 そもそも、事の起こりは1993年の秋頃にまでさかのぼります。
 友人のあさりよしとおからの電話。
 「HUの打ち上げ見に行かんか」

 (中略)

 しかし、種子島といえば地の果て、鹿児島県から船に乗っても飛行機に乗っても、さらに時間と手間のかかるところです。おまけに、ロケットの打ち上げというものは必ず予定が延びるものと来ている。聞いた話では未だかつて種子島宇宙センターから予定通り打ち上がったロケットはないとか(後にデマと判明。1996年夏のHU四号機以前、10年ほど前に予定通り上がったロケットがあるらしい)、でも内部情報を調べてみると今回は何とか予定通りに上がるんじゃないかとか、そういう訳で二日ほどの余裕を持って、もし時間があれば屋久島まで脚を伸ばそうかという日程で、笹本はあさりよしとお、豊島ゆーさく、そうま竜也、岡昌平といった面々と、一路、九州を目指しました。
 今から思えば何と甘いスケジュールだったろう。そもそも二日程度の遅れで、初号機が上がるなんて考えてるのが間違いだね。
 2月1日の早朝の打ち上げ予定は、結果としては様々な要因によって四日早朝にまで延ばされ、スケジュールをぐちゃぐちゃにされた我々は、その日の鹿児島空港発最終の飛行機で息を切らしながら東京にに帰ったのでした。

 おかげで、ロケットの打ち上げ取材に行くのに、国内なら帰りの予約まで準備万端整えていくなんて愚かな真似はしなくなりましたよ、わっはっは。だいたい延びるもんだとインプリンティングされたから、それを前提にスケジュールを立てる、あるいは立てないのが普通になってしまいます。
 だってね、初号機の打ち上げ予定が午前七時よ。二時間前には周辺は立ち入り禁止になっちまうから、それまでには取材センター入りしてなきゃなんないし、事前になんかの記者発表(多くの場合、打ち上げ延期)があったりするから、まともにホテルで夜寝てるなんてことはできないのだ。

 さすがにスケジュールの厳しいニッポンの記者諸氏、一日延びるごとにまるで櫛の歯が欠けるように種子島から去って行き、雛壇に並ぶカメラの砲列にもずいぶんと余裕が出来た四日目の朝、液体水素と液体酸素をその中に山のように呑み込んだ全備重量260トンのロケットは、噴射が音速をはるかに超えるための衝撃波の轟音を残して衛星軌道に飛び立っていきました。
(以下略)

1997年2月20日
posted by 結 at 23:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする